書きたいこと書けないこと 

私は文章を書くのが好きだ。

昔流行った痛い系サイトぐらいの時期に本格的にネット参入して記事を書くようになっていった。もちろん、ブランクなんかもあるがそう考えると私は15年近く筆を走らせている。正確にはキーボードを叩いているであるが。

まだ大学生ぐらいの気分だがもう若くはない。昔26歳ぐらいの人がもう若くないと言っていたのを思い出すと同時に29歳でまだ20代だと強調していた人の気持ちが分かってきた。

大学生の頃、巷でブームになったソーシャルサイトで時事を取り扱って、色々と大学生ならではの見解や意見を記事にしていた時期があった。自分でいうのもあれだけど中々に説得力があり面白い文章が書けていた。それを裏付けるかのように多くの人が記事に賞賛や批判などの何かしらのアクションをくれた。「平成の文豪」などと呼ばれた時は悪い気はしなかった。信者と言われるような損得の発生しない間柄なのに私を常に支持してくれるような人も現れた。

しかし社会人となり、社会の一員としての生活に順応するにつれ自分でも不思議だったが面白い記事は書けなくなっていった。別にそれ故にそっぽを向かれたわけではないが、自分が自分の記事に納得できずに更新頻度は下がり、やがて書かなくなっていった。信者のような人が出来ればアンチも増えるだろうし良い潮時だったように思う。

そこから空前絶後の人生を歩むことになるのだけれど、それはゲームブログで取り扱う内容ではないのでここには書かないが、ある意味でのリハビリとしてこのブログをはじめたのは明白であった。

たまにブログを読み返すと気を抜いた文章だからというのもあるが非常に稚拙で言葉の使い方が悪く、自分の考えを伝えようとする努力が見えないどころか伝わらないような内容ばかりで驚く。そして自分が自分の文章を認められなくなったある共通点を痛感する。

「書きたいのに書けない」

年を重ねれば重ねる程、責任を持てば持つ程、しがらみが増え色々なことに配慮しなくてはならない。

若い頃はこうではなかった、自分の思ったことを胸を張って主張する、そこからの反応にまた新しい糧を得てゆきそして成長する。だが今ではどんな反応が返ってくるか想像してしまうし、その事後処理まで想定してしまい、面倒になって書くのを辞める。

言わば「大人」としての対応であり、当然といえば当然である。

このブログ、意外と閲覧している人も多くそのうちの数%はきっと以前のゲームでの知り合いもみているだろう。

例えばAというゲームを辞めて、まだみんな続けているのに「Aってクソゲー過ぎるww」と書けばAをしている人達のモチベーションを下げることになるし、最悪の場合は敵を作ることにもなりうる。

正直敵を作るのは別に構わないがAというゲームを酷評する必要性も感じない、故に書くことがない、で終わってしまうのであろう。

例えばゲーム内であった嫌なことをブログに書いたとする。そうすればもちろん当事者達はチェックしているから「晒された」というような流れになって「相手の悪い噂を先に流そうゲーム」がはじまってしまう。ネットゲームをしている層に有識者が多いとは思えないので限りなく時間の無駄であり面倒である。

余談だが悪い噂やでたらめの悪評は実生活であれば交友範囲が限られるので、普段の行いやその人の性格で払拭出来るが、ネトゲの場合は交友関係のないマス相手に真偽の不明な情報が流れるので払拭するのは難しい、またその手立てが限りなくないに等しいので性質が悪い。

そんなこんなで最近書きたいなと思っていた記事があったのだが思いとどまってしまっている。

「私がネトゲで出会った再会したい人、逆に和解しなければ二度と遊びたくない人」

う、う~ん^A^;;
前にちょっと批判を書いた記事があったんだけど即効かぶりついてきたからなぁ~、あの時は寒気がしたけど。

自分の思っていることをそのまま表現出来る人間、年をとってもそういう人間でありたいと思っていたけど実際には中々エネルギーが足りないと出来ないものである。八方美人のイエスマンにだけはなりたくないと堅く誓う、たとえどんな障壁があったとしても。

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